浮世絵で見る江戸・深川

8. 歌川広重「名所江戸百景」
より「深川木場」

“ゼネコン御殿”に
囲まれた天然倉庫

 何度か繰り返された江戸の建設ラッシュを陰で支えたのが、材木の貯木場、木場である。紀州など全国の山で伐採された材木は筏を組まれて川を下り、各地の水路を通って江戸に集結、そのまま水に浮かべておき、虫などを除去したあと、十分に乾燥させ、製材される。
 建設ラッシュを生んだのは振袖火事や八百屋お七など数々の伝説を生んだ江戸の大火である。深川の発展は明暦の大火(振袖火事)を契機としており、日本橋や神田にあった貯木場が深川からさらに現在の木場に移転したのも寛永・明暦の大火が原因だった。
 木と紙でできた家は燃えやすい上に、密集しているからあっという間に延焼する。しかも当時は効果的な消火方法もなかったため、八代将軍吉宗と大岡越前が組織した町火消しの役割は、もっぱら延焼を防ぐための区画破壊であり、池波正太郎の“鬼平”で有名な長谷川平蔵率いる「火付け盗賊改」という警察組織は、放火が強盗と同等の重犯罪であったことを物語っている。
 そんなわけで、江戸の材木商は火事の度に儲かった。この地に木場があったことから、明暦の大火で大儲けした河村瑞賢、みかん船の紀伊国屋文左衛門、紀文のライバル奈良屋茂左衛門といった名だたる豪商、今で言うゼネコンのオーナーは、新川、八丁堀、霊岸島と、皆この界隈に屋敷を構えた。
 現在、木場のあった場所は木場公園として整備され、昭和44年(1969年)貯木場としての機能は新木場に移ったため、往時を偲ばせるものは地名以外ほとんど残っていないが、懐かしい貯木場の風景は、JR京葉線・新木場のホームから垣間見ることができる。

ページトップへ戻る