浮世絵で見る江戸・深川


6. 国芳「東都名所」より
洲崎初日出の図 
国貞「洲崎汐干図」

今は幻 庶民の
レジャースポット

 では、大津波によって破壊された前後の洲崎はどんな場所であったのか。津波以前は満潮で冠水する湿地帯という遠浅の特徴を活かした養魚場が発達していた。一方で東京湾の全景を一望できる景勝地としても知られていたのだが、津波の後は人家や店など、街らしきものが何もなくなった分、周囲を遮るものもなくなり、手つかずの自然という利点だけが残った。
 国芳の絵(上)を見ると、江戸後期には、元旦に「ご来光」を見に行くような、風光明媚な海岸であったことがわかる。日の出がいかに美しい場所であったかを雄弁に物語るのが、現在も残る「東陽町」という地名である。
 さらに国貞の絵(下)を見てわかるのは、潮干狩りなど、浜遊びが楽しめる老若男女のレジャースポットであったということ。江戸っ子にとっての洲崎は、湿地や養魚場が広がるさびれた場所という反面、春夏の観光シーズンにはわざわざお洒落して出かけたくなる、ちょっとしたリゾート地でもあった。

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