浮世絵で見る江戸・深川

3. 「深川恵比壽の宮」

今も昔も地震は
最大の“疫病神”

 最初の項で触れたように、元祖・富岡八幡は創建当初に恵比須神を祀っていたこともあり、深川でも境内の西側に恵比須宮がある(深川七福神のひとつ)。
この絵に描かれているのは安政2年10月2日(1855年11月11日)に起こったM6.9の安政江戸地震を風刺したもので、同地震は深川地区で特に強く揺れ、甚大な被害を及ぼした。江戸全体での死者は約4300人、倒壊家屋約1万戸とされている。
 この絵は地震が大ナマズの地下活動によって起こるという民間信仰をもとに描かれたいわゆる「鯰絵」のひとつで、本来ならば右側にナマズの天敵である鹿島神を始めとする八百万の神々が鎮座した絵があり、この絵はその左側。新潟(1828年・越後三条地震)や信州(1853年・善光寺地震)、小田原(1853年)、さらに安政東海・南海(1854年)、安政江戸と、10年もの間に次々と壊滅的な大地震を起こしたことをナマズ達が深川の恵比須様を仲介者として、神々に「もういたしません」との誓いを立てているという図柄。この文中でのナマズの弁明が幕末という時代を反映していてなかなか面白いので紹介する。
 「近頃外国の奴らがたびたびこの国にやって来ることをうるさく思っていた、そこで日本の後ろを力まかせに揺り動かし、その弾みで江戸表に出てしまったのが、地震という揺れとなった」

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