浮世絵で見る江戸・深川

10. 歌川広重「名所江戸百景」 より「深川萬年橋」
葛飾北斎「深川萬年橋下」

逃がせば亀は
万年生きる?

 隅田川から小名木川に入って最初の橋が万年橋。江戸時代には、現在の万年橋より西側の河口近くにあり、北斎の絵(上)にあるように美しいアーチ型だった。この橋の袂には幕府の番所があり、積み荷検査などをしていたため、舟の出入りの多さから、高い荷を積んでいても通行の邪魔にならないアーチ型を採用したものと思われる。
 「万年橋」という名前の由来だが、「永代橋」に対抗したということらしい。何とも単純な理由だが、勘のいい人は広重の絵(左)を見て「ああ、なるほど。亀は万年のシャレか」と思うことだろう。それにしても大胆な構図である。ゴッホを始めとする印象派の画家達が手本としたのもうなずける。カメラで言うと被写体深度の深い、パンフォーカス。しかも対象が画面に入りきらないという「切り取り方」は、写真技術そのものではないか。
 そういった絵画論はさておき、この亀、実は単なるシャレではない。実際、江戸ではこういた風習があったのである。放生会(ほうじょうえ)というもので、捕らわれた生き物を放すことで功徳を積むという寺社の習わし。この絵の場合、放生会が行われたのは場所からいって富岡八幡であろう。橋の欄干に売り物の亀をぶら下げておいて「お客さん、ひとつ逃がしてやって下さい」という商いが行われていたわけである。落語の『佃祭』では、この「放し亀」の件が面白おかしく語られている。
 もともとこの万年橋、形状はユニークだが、さほどの名所ではなかったという説もある。従って、広重が橋を描かず亀と、その奥に拡がる隅田川や富士を中心に描いたのは、「オレならこう描く」という北斎へのライバル心ではなかったかという説もある。

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