浮世絵で見る江戸・深川

現在の富岡八幡宮↑

1. 歌川広重「江都名所」
より「深川八幡境内」

頼朝創建の八幡宮から
分社した深川の守り神

 池波正太郎の代表作「剣客商売」を読んでいると、主人公の老剣客・秋山小兵衛が親子ほど歳の離れた愛妻おはるの操る小舟で度々訪れるのが富岡八幡宮。池波正太郎は江戸の古地図や「江戸名所図絵」といった資料を参考に、武家や町人の暮らしぶりを活き活きと描いているのだが、富岡八幡の華やかな賑わいを描く筆致には、また格別の趣がある。
今の姿からは想像しにくいのだが、当時は周囲を堀割で囲まれ、鳥居から数分歩けば海に出ることができた。
 そもそも本家の富岡八幡宮は現在の横浜市金沢区にあり、その由来は建久年間(1190年〜1199年)に源頼朝が摂津国難波の蛭子(恵比須)神を勧請して創建、安貞年間(1227年〜1229年)に源氏の氏神である八幡神が合祀されたというもの。
 深川の八幡宮は、江戸開府初期に行なわれた深川干拓が難航したことから、波除八幡(応長の大津波から富岡地区を守ったというのが由来)の異名をとる富岡八幡宮から分霊したのが始まりで、 寛永4年(1627年)、周辺の砂州一帯を埋め立てた6万坪もの社有地を得て、当時永代島と呼ばれていた現在の地に創建された。
 その後、源氏をルーツとする徳川将軍家の手厚い保護を受け、江戸っ子にも「深川の八幡様」として親しまれることになり、干拓とともに周囲は商業地としても発展、昭和20年(1945年)の東京大空襲で一度は焼失したが、その後再建され、現在に至る。

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